
1940年、当時のUSオープンの賞金総額は6,000ドルであった。テキサス州ダラス・フォートワースのあるこのクラブを代表してアービン・レオナードがアメリカ・ゴルフ協会に出かけ、25,000ドルのチェックを示して翌年のUSオープンをコロニアルCCへ持って来る交渉を行った。
交渉は成功し、1941年の大会はこのコースで開催され、クレイグ・ウッドが優勝した。この大会の成功が1946年よりコロニアル・ナショナル・インビテイションを誕生させ、現在に至っている。ダラス・フォートワースを故郷とするベン・ホーガンが5回優勝していることもテキサス人の誇りである。
コースは数学者で運動不能なジョン・ブレディアスの設計であるが、1941年のUSオープンに向けてペリー・マックスウェルが改造を行い、3番、4番及び5番の3ホールが新設され、この3つが最も難しいホールとされており、ベリー・マックスウェルの傑作とされる。その後、1949年に生じたトリニティー河の氾濫で、オリジナル・コースの一部が崩れ、現在のものは、修復されて造られたものである。写真は谷越えとなる209ヤードパー3の8番ホール。


































