
これに先立つ1883年にはシカゴGCを発足させ、このコースの設計・建設も担当しており、そのコースでは3度全米オープンも開催されている。初期のアメリカのゴルフ界で「シーザー」と呼ばれたマクドナルドは、イギリスの既存コースの中から現想的な18ホールを選んで、そのホールの持つエッセンを取り入れて現想の18ホールを新大陸アメリカに建設することを思い立った。
こうして造られたのが、この「ナショナル・ゴルフリンクス・オブ・アメリカ」である。18ホールの中でも特にマクドナルドが好んだホールは、ノースベリックGCの15番ショート・ホールをモデルとした「レダン」、プレストウィックGCの17番パー4からの「アルプス」、ウェストウォードの14番パー4からの「ケープ」であった。彼は以後のコース設計でも、この3つのホールは必ず18ホールの中に入れているほどである。
第一次世界対戦の終了した1921年に米・英アマチュアの対抗戦であるウォーカー・カップの第1回大会が、このゴルフコースで開催されたが、発案者のジョージ・ウォーカーは前アメリカ大統領ジョージ・ブッシュの母方の祖父にあたる人物で、このクラブの理事であった。
写真はコースのシンボルとなっている風車小屋を背景とした18番パー4である。風車小屋はロンドンの名門ロイヤル・ウィンブルドンからとったアイディアである。

























