
このコースは1839年にセント・アンドリュースのプロであったアラン・ロバートソンが原型を造り、これをロバートソンの弟子にあたるオールド・トム・モリスが18ホールに拡大して現存するコースの姿の基盤を固めた。その結果、セント・アンドリュースは北隣に思いもかけぬ強力なライバル・コースを持つこととなった。このカーヌースティでは19世紀後半には多くの名ゴルファーを育てたが、彼らの多くは大西洋を渡ってアメリカへ移民した。アメリカのゴルフの発展はカーヌースティ出身のゴルファー抜きではとても語れない。1895年に始まった全米オープンで初期に活躍したウィリー、アレックス、マクドナルドのスミス三兄弟、1909年の全米オープン制覇後、南のアトランタへ移ってイーストレークGCのプロとなったジョージ・サージェントは特に有名である。さらに、同じイーストレークで球聖ボビー・ジョーンズのスウィングの手本となったスチュアート・メイドンもやはりここでゴルフを覚えている。
このコースはスコットランド一難しいリンクスと評されている。「バリー・バーン」と呼ばれるクリークが3つのホールに絡んでおり、特に3回フェアウェイをクロスする18番は名物ホールである。すでに何回も全英オープン会場となっているが、1953年の強いベン・ホーガンの優勝の話と1999年最終日に最終ホールでトリプル・ボギーを打って勝利を逃したフランス人、バンダ・ベルデの話は歴史の中で消えることが無い。
























